三保松原は、『芸術の源泉』としての富士山の普遍的価値を証明する上で欠かすことのできない世界文化遺産の構成資産です。
その範囲は、海外にも著名な芸術作品の視点場や舞台として重要な要素となった砂浜と松林の全体を含んだ64.4ヘクタールです。
この中には、富士山と関わりがあるとされる天女と地元の漁師との交流を描いた羽衣伝説で有名な「羽衣の松」をはじめ、羽衣の松を御神木とする「御穂(みほ)神社」、松と神社の間の松並木「神の道」が含まれています。
また、構成資産の周囲には、資産を適切に保護していくため、法令等による利用・開発規制を敷く緩衝地帯(バッファゾーン)252.0ヘクタールが設定されています。
三保の中心に鎮座する御穂神社(祭神は大己貴命と三穂津姫命)は、平安時代の書物『延喜式神名帳』にも記録のある由緒ある神社で、朝廷や源氏、今川氏、武田氏、豊臣氏、徳川氏の武将に篤く崇敬されました。特に徳川幕府は、慶長年間(1596-1615)に壮大な社殿群を造営寄進しましたが寛文8年(1668)の落雷により焼失しました。
御穂神社の神馬(しんめ)は、子どもの守り神として地域の人々が幼少期を懐かしむ馬です。11月と2月のお祭りの時に、馬屋の扉が開き、馬のお腹をくぐってお供えのお豆を食べると、おねしょが治るという言い伝えが残っているためです。また、この神馬は、静岡浅間神社の2頭の神馬が逃げてきて1頭が残ったという説があり、北原白秋作詞の『ちゃっきりぶし』(神の道に歌碑あり)にも詠われています。
羽衣の松に来臨した神は、約500mの松並木、通称「神の道」を経て御穂神社に迎えられます。樹齢200~400年といわれる老松に囲まれた厳かな松並木を歩くと、心が洗われるような感覚を得ることができます。松の保全のため根を踏まないようボードウォークとして整備され、三保松原に関連した歌や物語を書いた案内板を楽しみながら散策することができます。夜間はライトアップしてさらに幻想的な空気に包まれます。
・唱歌 羽衣
・ちゃっきりぶし
・閑吟集 三保が洲崎
・高山樗牛 わがそでの記
・東海道名所図会
・謡曲 羽衣
・小堀遠州の和歌
・廣津和郎 三保の松原の思ひ出
羽衣伝説で天女が衣を掛けたと伝わる羽衣の松は、本来、海の彼方から来臨する常世神の憑代(よりしろ=目印)の役目を果たしています。現在も、2月14日の夜に行われる神事において、羽衣の松は神の降り立つ地となっています。羽衣の松周辺から見る砂浜、海岸に打ち寄せる清らかな白波、そして海の彼方へと続く景観は、日本の海辺の原風景といえます。